女は女である、そしてフランス映画はフランス映画である

新型コロナウィルス禍で全く映画館にも行けず。2020年の3月はひどい月だ。バンド活動もお休みである。その時間は全てこのWebサイトの立ち上げに使われたので、家で映画を観る時間もあまり取れずだった。

わずかな隙間で観ることができたのが「女は女である」という映画。ゴダールの映画、そして僕が生まれるより前の作品である。僕が劇場で観ることができたゴダール映画は「勝手にしやがれ」「気狂いピエロ」「彼女について私が知っている二、三の事柄」くらい。フランス映画はストーリーというより場面の美しさを観るもの、というのが僕の勝手なフランス映画観である。

主人公はフランスのとあるストリップ・ティーズで踊っているアンジェラという女性。ストリップと言ってもアメリカのポールダンスのようなものではなく、もっと奥ゆかしいというかソフトな感じ。これなら僕も行ってみたいと思うような、雰囲気のある場所である。あんまりいやらしくない。

思い立って「あたし子供が欲しい」となるのだが、この辺りなぜ子供が欲しいのかはあまり語られない。ストーリーは割とどうでも良くって、場面場面の絵の美しさに心が踊る。ストーリーではなく文体で読ませる小説とでも言えば良いのか。

仕事がはねた後、彼女はジャン=ポール・ベルモンドと連れ立って歩く。この辺りの二人のやり取りは、ああフランス映画だわねぇ…という感じ。ちょっと前衛的な雰囲気もあり。アンナ・カリーナのファッションは全編にわたって完璧である。

ジャン=ポール・ベルモンドの少し不良っぽい感じ、身のこなしの柔らかさが印象的であった。この頃二十代後半ぐらい。

アンジェラにはきちんとしたボーイフレンドがいるのだが、子供が欲しいという彼女となかなか気持ちが合わず…しかし最後には子供を作ってみようかとなる。

エンディングはやっぱりフランス映画っぽい。アンジェラがカメラに向かって「私はただの女よ」とウィンクして終わるのであった。誰かが殺されるわけでもなく、カーチェイスがあるわけでもなく、派手な爆発もない。60年代のパリの雰囲気、キュートな登場人物、気の利いたセリフ、それらをのんびりと楽しむ映画である。